多田先生を初めて知ったのはいつの事でしょうか。
免疫学会で革のズボンをはいた元気な先生で、次次と演者に質問をぶつける方がおいでになりました。 隣の席の先輩が、あの方が米国帰りの多田先生だよと教えてくれました。
とてもエネルギッシュな探究心に感心し、研究者はこうでなくてはと思ったものでした。先生の専門分野の免疫の仕組みに関しては私も大変興味を持って勉強した分野で、先生の講演はいつもとても興味深く拝聴いたしました。
昔のことですが、学会での懇親会で先生とお話しする機会がありまして、そのさい、創作能”無明の井”のお話をおうかがいし、先生の多才ぶりに改めて驚かされました。
その後しばらくして先生が脳血管障害でお倒れになって、リハビリ制度のさまざまな問題点、改善点を新聞で述べていることを知りました。
私も、僻地の国保病院にリハビリ施設を新しく開設し、患者さんにとても喜んでいただきました。現制度では採算抜きでヒューマンな気持ちがなくては、患者さんの治療効果が望めないことは明らかです。
病気に無知な人々がリハビリに制限を設け、回復への夢も希望も奪い去る制度は何としても改善してもらいたいと、全く多田先生の言われるとうりと感じていました。
私の妹も数年前脳梗塞で倒れ、持続的なリハビリを必要としましたが、今はリハビリの制限のため十分な治療が受けられない状況になっています。
制度を創る人々自身、又は愛する人が脳血管障害で倒れない限り改善の必要性を感じないとしたら、何とも情けない話です。 また、多田先生は朝日新聞に、日本は病んでいるとお書きになりましたが、私も日本の社会が先生がご指摘なさったように競争、能率、成果、市場原理主義をよしとし、思考もデジタル化し、人間味のある温かさが失われているように思います。
スウェーデンで暮らした時ですが、役人の対応が規則一辺倒でなく、相手の立場を十分聞いて、柔軟に対応してくれたことには感動しました。 日本では規則ですからと、一蹴されることまちがいなしのことでしたが。
政治政策も人を信じ、人々のため、特に弱者への思いやりの思想が政策の基本に感じられました。 日本はこの20-30年の間に、米国の市場原理主義を基軸としての政策をとり、人間の問題をもデジタル処理して当然と思い、人々が数字で処理され、結果として無味乾燥で寒々とした社会になってきた様に感じます。 残念です